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ミルトン H. エリクソン邸訪問!

2010年08月01日 16:18

4日目のトレーニング終了後に、ミルトン・エリクソンのおうちにお邪魔しました!
といっても大抵の人はピンと来ないかもしれませんが・・・・。
エリクソンを知っている方には、この興奮が分かっていただけるかと思います。
見たことのある建物が目に入ってきた時、思わずワ~オ!と叫びました。

ついに、念願のエリクソン邸を見学にいけることになりました。
エリクソンは後年の約30年間、ここで暮らし心理治療を行いました。
今回のトレーニングの講師ジェフ(Zeig)を初め、
ベイトソン、ヘイリー、ロッシ、オハンロンなども、
エリクソンの技法を学ぶためにここを訪れました。

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今はエリクソン財団が買い取り博物館のようになって、
ほとんど当時のままの状態で管理されています。
敷地は広いですが、家自体は質素でこじんまりとしていて驚きました。

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裏庭には、大きな木と二つの離れがありました。

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玄関。

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洗濯機と冷蔵庫とプチキッチンのコーナー。

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キッチン。

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何だかおじいちゃんの家に来たような懐かしい雰囲気が漂っています。

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バスルーム。

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車椅子だったミルトン・エリクソンのために、全面バリアフリー。
手すりや椅子はきっとミルトン用だったのでしょう。

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洗面台も何だか懐かしい雰囲気。

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スイッチにはいろいろな種類の犬の顔が。

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別のお部屋。

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エリクソンは子ども相手のセラピーもお得意でした。
棚には子ども用のおもちゃがいっぱい。

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エリクソン婦人の寝室。

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他の部屋にはエリクソン婦人や若き日のミルトンの写真が展示してありました。

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リビングルーム。
エリクソンはよくこの椅子に座ってテレビを観たりしていました。

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棚にはエリクソンが好きだった木彫りの置物が沢山飾られています。

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ジェフがエリクソンの家を初めて訪れた時、エリクソンが混乱技法を使った話は有名ですが、
左奥のドアからジェフが入って来て、
エリクソンはこの椅子に座ってロボットのような動きをして見せました。

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離れに移動すると、治療とトレーニングに使われた部屋がありました。
とても狭いスペースです。

これは有名な紫の電話(のレプリカ)。
エリクソンは色盲で他の色が見えなかったため、
紫色の物を周りに置くことを好み、いつも紫色の服を着ていました。
紫色の電話は、エリクソンのトレーニングを受けた学生がプレゼントしたものです。

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トレーニングの部屋には、患者や生徒が贈ったプレゼントが沢山飾られていました。
エリクソンは支払い能力のない人からは治療費も授業料も受け取りませんでしたが、
その代わり人々は、自分が作ったアートなどをエリクソンにお礼として贈りました。
壁の絵も紫色を使って描かれています。

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ここが治療室!有名な技法の多くはここから生まれました。

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エリクソンのデスク。

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民族的な不思議な置物が沢山飾られています。

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有名な緑の椅子。ここに患者さんが座りました。

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外に出ると、日が落ちて、庭には夕陽が差していました。

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全てを見守ってきただろう大きな木に触りながら目を閉じて、
治療家として成長するためのパワーを下さいとお祈りしました。(やっぱり日本人!?笑)

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先ほどまで降っていた夕立も上がり、空は真っ赤に染まっていました。
何だか私達へのプレゼントみたい。

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この歴史的空間に来られた幸福と意味深さをかみしめつつ、
帰国後臨床心理士として更に研鑽を積む決意を新たにしたのでした。

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コメント

  1. mariko | URL | -

    おかえりなさい!

    おつかれさまでした。素晴らしい研修になったようですね!

    〉エリクソンは支払い能力のない人からは治療費も授業料も受け取りませんでした

    そういうセラピストもいるのですね!すごいですね。
    そうなってくると、もう奉仕、献身の世界ですね。
    糧を得ることは当然の権利であり、生活の基盤なしに
    理想や精神だけで、そのようなことは出来ないと思いますが、
    そのような在り方にはやはり説得力があるように感じます。

    人の心に寄り添う、本当に大切な、そして貴重なお仕事ですね。
    日本にも、そのようなサポートを必要としている
    沢山の方々がおられることを思います。
    日本に戻られてからのご活躍を心よりお祈りしております。

  2. ツル子 | URL | mjPE0GIo

    >marikoさん
    おかげさまで実り多い研修になりました^^
    エリクソンは魔術師と呼ばれるほど優秀な治療家で、
    その気になればもっと収入を得て派手な暮らしもできたはずなのですが、
    物質的な価値観を追い求めない高い精神性は、
    彼がいまだカリスマたるゆえんの一つなのだと思います。
    時には患者を裏庭に住まわせて家族ぐるみで面倒をみたとか。

    今は良い治療をするためには、患者が治療者に依存し過ぎないために、
    治療関係の境界線をはっきりすることが常識になっているので、
    なかなかエリクソンのようなフレキシブルなやり方をする人はいないと思いますが、
    彼の哲学から学ぶことが多くあります。

    帰国後、少しでも多くの人のお手伝いができるように自分の技を磨き続けていきたいと思います。
    これからますますご活躍されるmarikoさんの姿からも、
    いい刺激を引き続き沢山いただけると思います。
    それぞれの場所でのお互いの経験をまた情報交換できたら楽しいですね♪

  3. mariko | URL | -

    境界線ですか。なるほど、と唸らされました。
    よき治療をするために、必要なラインなのですね。

    彼のように、
    物理的な制限(金銭や時間等)でわかり易い境界線を設けずに、
    患者との健康な距離/関係を保ちつつ依存させずに支援することは
    (invisibleな心理的な境界線を保つことは)、
    非常に高い能力を要するということでしょうか。

    どう境界線を引くかということは、私たちの職種にとっては、
    非常に大きな課題であり、本当に必要なことだと思わされました。

    プロのセラピストの方々でも明確なラインをもたれるのに、
    我々、専門的な訓練も受けていない者が、
    人々の深く心の問題と関わり、共倒れしてしまうのも、
    ある面では仕方ないのかもしれないと思いました。

    どこか、境界線を引くことへの誤った後ろめたさのようなものが、
    私たちの職種の中では蔓延しているような気がしますが、
    精神論で無理矢理やっていくのではなく、
    相手を愛するが故にこそ、敢えて境界線が必要だということを
    声高に仲間達に伝えていきたいと思います。

    これからも色々と教えて頂きたいです。
    この出会いが与えられたことに本当に特別な導きを感じています。
    また近々お会い出来るのを楽しみにしています!

  4. ツル子 | URL | mjPE0GIo

    marikoさん

    >彼のように、
    >物理的な制限(金銭や時間等)でわかり易い境界線を設けずに、
    >患者との健康な距離/関係を保ちつつ依存させずに支援することは
    >(invisibleな心理的な境界線を保つことは)、
    >非常に高い能力を要するということでしょうか。

    その通りです。
    物凄く広い度量と、自分と相手の状態を正確に理解する力と、それに対して的確に効果的に対応できる技術などなどが必要だと思われます。彼は超カリスマ扱いされていたのでもともと影響力が大きかったというのも幸いしているでしょうし、車椅子でモゴモゴしゃべるかわいいおじいちゃんというのもプラスに影響していたと思います。

    私達が治療をする時倫理違反とされているものの一つに「多重関係」があります。それは治療関係のある相手と、ビジネス関係・恋愛関係・師弟関係・友人関係などの別の関係を同時に持ってはいけないというものです。それは治療に利害や依存が影響して患者にとって不利益になったり、共倒れになったりするからです。だからもともと別の関係がある人にカウンセリングを頼まれても断って別のカウンセラーを紹介します。とはいえどうしても多重関係を持たざるを得ない状況もありますが、その場合はとても注意が必要だと言われています。

    marikoさんのお仕事は、関係をはっきり定義しづらいにも関わらず精神的な援助が切っては切り離せないでしょうから、とても難しいお立場でしょうね。しかも求める人を拒絶することは立場上とても葛藤があると想像します。

    私達も目の前で困っている人の力にできるだけなりたいという願望がありますし、もしなれなかった場合自分の限界を突きつけられて辛い気持ちになったりします。ただ自分の限界を無視して無理して関係を続けていると、それがほころびになって必ず相手に思わぬ形で返っていくものなので、自分の感情や感覚が教えてくれる自分の限界に敏感になって、それをその都度誠実に相手に伝えていくことは、辛い作業ですが相手のためにも必要な作業です。時には治療者の「怒り」「いらだち」などネガティブな感情も正直に伝えて話し合うことで、治療が進む場合もあります。

    もう一つ私達が気をつけるように言われるのが、「メサイアコンプレックス」です。この名前に気を悪くされたらごめんなさい。でも大切な概念かなぁと思いましたのでご紹介します。他人を援助して救っている自分自身の姿に満足して、誰のための援助か本末転倒になってしまうことで、私達カウンセラーはついこういう心境に陥りがちと言われています。でも本当に良いカウンセラーは、直接手助けするのではなく、患者が自分自身で問題を解決していく力を間接的に引き出し、最後は「カウンセラーなんていなくても自分で立ち直れた」と患者に思わせるような人だそうです。なかなか難しいですが、完璧な存在でない人間の私達は黒子として間接的にお手伝いをするだけで、直接患者を癒すのはその人の持つ無意識の力だったり神様の存在だったりという考え方は、marikoさんの分野にも当てはまるのではないかと思いました。

    marikoさんが新しい風を起こしてどんどん良い変化のために活躍されていくことをお祈りしています^^これからも情報交換していきましょう♪

  5. mariko | URL | -

    有難うございます!とてもとても参考になります。
    並大抵ではない能力が必要である、そういうことを、私たちがそもそも、取り組もうとしていることに無理があると思わざるを得ません。ここ十年位でやっと言われて来ていることですが、自分達の領域を良く見極め、専門家とのチームワークの必要性を改めて切実に思わされます。

    そうですね、私たちの場合、必ず多重関係の中での支援となるので、本当に関係を定義するのが難しく、そこが一番、私たちが葛藤するところと言えるかもしれません。非常に密接な幾重にも定義出来る、そして基本的に無制限の関係の中で、起きて来ることなので。

    私たちの仕事は、「職業」なのか、「生き方」なのかという問いも、長く論議されており、そこもかかわってくるなと思いました。アメリカでは本人も、そして周りも、「職業」と割り切っている人々がかなり多く、それ故にお互いに健康的な「この人も単なる私たちと同じ人間の一人」という意識が当然のようにあります。

    しかし日本は文化的な違いか、本人も周りも、「出家」というイメージからでしょうか、どこかで普通の人とは別の人間になっていくことを期待されているし、自分でも無意識に目指すところがあるのではないかと思います。それを期待する周囲は、私たちが、当然のこととして「No」と限界設定をする時に、私たちに落胆する、というような構図が出来たりします。人間は神ではないですから、誤解している人々には早くにそれに気づいて落胆してもらった方がいいと私は思うのですが、その人々からの落胆に耐えられず、人々の期待に応えようとし、無理矢理に背伸び強行突破をし、バーンアウトしてしまうという同労者も何人も見て来ました。競争社会の中でいつも人に認められることを求められ、求めて生きて来た現代の日本人にとっては、「人々から落胆される」ということが、自分の存在を脅かす恐怖となり、頑張ってしまうのかもしれないですね。本当は、そのような人間からの「賞賛」や「蔑み」によって私たちの価値が変わるのではなく、絶対的な方がおられ、この方の前に立つのだと語るのが、私たちの仕事なのですが。やはり私たちもそれぞれに傷ついたり歪んだりしている人間なので、なかなか教科書通りにはいかないなと思います。

    >最後は「カウンセラーなんていなくても自分で立ち直れた」と患者に思わせるような人だそうです。なかなか難しいですが、完璧な存在でない人間の私達は黒子として間接的にお手伝いをするだけで、直接患者を癒すのはその人の持つ無意識の力だったり神様の存在だったりという考え方は、marikoさんの分野にも当てはまるのではないかと思いました。

    これは、本当に仰る通りです。私たちの仕事は、ただ、人間の力を遥かに越える方を指し示すという、そのことなのですが、これを勘違いしてしまってとんでもない状況も起きて来ていると思います。メサイアコンプレックスに陥っている指導者は、少なからずいると思いますし、自分自身も常にチェックしていなければならないと思います。ナイーブなレベルものから、本格的に危険なレベルまで幅広くあると思いますが、いずれにせよ、彼らの共通点は、最大関心事が、神や他者ではなく、いつも「自分自身」にあるというところでしょうか。自分自身の存在のinsecureさがその根底にあるような気がします。カルト化していってしまっているグループは、ほぼ例外なく、指導者がこの罠にはまり、自分が神であるかのように振る舞い、とんでもないことになってしまっているように思います。人間が人間であるということを忘れて、自分が人をあたかも「癒せる、変えられる」と錯覚しだすと、恐ろしいことが起きますね。それを「神」の名を使って行ってしまう訳ですから、私たちは本当によりより、注意せねばならないと思います。

    私にとって非常に重要なトピックで、思わず長々と書き込みしてしまいました。ツル子さんのアドバイスや知識に、とても勉強させられています。仰るように、時代も文化も日々変わりゆく中で,常に私たちも変革していくことが求められているなと思います。進化論的なサバイバルという意味ではなく、本当にこの時代のニーズに応えることが出来るために。この地上での短い時間の中で、自分自身に何が求められているのか、そして何が出来、何が出来ないのか、どう次の世代に引き継いでいけるのか、時を見極めて、今を正しく生きていきたいですね。

    ツル子さんのご活躍を、私も心からお祈りしております!

  6. ツル子 | URL | mjPE0GIo

    marikoさんへ

    >私たちの仕事は、「職業」なのか、「生き方」なのかという問いも、長く論議されており、そこもかかわってくるなと思いました。アメリカでは本人も、そして周りも、「職業」と割り切っている人々がかなり多く、それ故にお互いに健康的な「この人も単なる私たちと同じ人間の一人」という意識が当然のようにあります。

    なるほど。確かに日本では全体的に「専門性」よりも「総合的に優れた人格」を重視する傾向が強いように私も思っていました。専門分野の知識や経験を活用させていただこうというよりも、専門家たるもの全てにおいて模範的であるべし的な「〇〇道」の考え方が強いですよね。ましてや牧師さんや宣教師さんにそういうものを求める気持ちが強いのは想像がつきます。

    求める側のIndependenceの低さも関係しているのでしょうか。日本では政治でも何でも、「公」にすっかり任せておいてちょっとでもミスがあると全力でたたきおろす傾向がありますよね。上には全面的に従うべき、その代わり上も完璧な姿であるべきのような。儒教的な考え方も影響しているのでしょうか。

    ちょっとmarikoさんのお話からは脱線してしまったかもしれませんが、個人個人が自立的に考えて、お互いの「専門性」を活かし合ったり、対等に意見を交換したりできる人間関係をもっと作っていければいいなぁと思います。

    ちなみに心理学の対象関係論では、「部分対象関係」(相手の良い部分しか見ておらず、自分の思い通りにいかないと相手に「裏切られた」などとみなす状態)から「全体対象関係」(良い部分も悪い部分もひっくるめて相手であることを認められる状態)に向かって発達していくのが理想らしいです。日本は精神的に未発達な部分があるのか、ガラパゴス的に独自の進化を遂げているのか・・・・。いずれにしても、不健康なものの考え方であることは確かですので、私も引き続き考えていきたいテーマです。

    >この地上での短い時間の中で、自分自身に何が求められているのか、そして何が出来、何が出来ないのか、どう次の世代に引き継いでいけるのか、時を見極めて、今を正しく生きていきたいですね。

    おっしゃる通りですね。やり遂げたいことを考えると何と短い人生と思うことがありますが、今自分ができることを地道に積み重ねて次世代に引き継いでいけるといいですね。違う専門の立場から意見を聞かせていただいて議論を深められることをとても幸せに思います。これからもよろしくお願いします^^!

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